師と仰げるかた

幼い頃から今まで「師」と仰げるかたは数名だけ。
小学校4年の頃の担任だった武田先生。鎌倉にお住まいで、人格者だった。
後は高校時代の楠木先生(化学担当)。
当時の私はモル計算もできずに化学は赤点常連だった。進級して楠木先生のところに押しかけて勉強を教わることにしてもらった。
問題集を1冊くださって「解けない問題があるなら『どこが分からないか』を明確にして持ってきなさい。そして来週くるときまでに(週1回化学科の教官室にくるよう指示されていた)周期表を暗記しておきなさい。」と仰った。
周期表が何故関係するのかは聞かなかった。
ただ授業外で教えてくださるのだから頑張らなければと思った。
莫迦な私は周期表をただただ丸暗記した(汗。<103個よく覚えたものだ。

後日談だが、楠木先生は「1週間もたないだろう」との予想だったよう(笑。
しかし、いつまでも問題集を持ってくる女学生に「ああ、本気で化学を勉強したいのだな」と思ったのだそうだ。まぁ、これは当たり前の話で、当時の成績は褒めるところがないくらいに悪かったし、そんなおばかさんが理由も分からぬまま本気になるはずがない。

受験に必要だったから本気になったのだが、それより毎回の試験が辛かったからだ。
赤点追試をトリプルでくらうとさすがにみっともないし、進級が危うい。
で、結果卒業する頃には化学が得意科目となっていた。

お名前をド忘れしてしまい大変失礼だが、専門学校時代の解剖学(正確には口腔解剖学)の教授も大変な人格者だった。
毎年大問1題が出題される教科で、ヤマ張り不可な科目だった。
解剖学は範囲が広く、難解で、ほとんどの人が諦める科目だった。
しかし、大変な教科だからこそ次年度に持ち越しは辛い。
私は無謀にもヤマを張って勉強をした。当時の予想は「第一大臼歯と第一乳臼歯の相違点と類似点」だった。
もちろん見事ヤマは外れて(笑)「脳神経である迷走神経について知るところを記せ」だった。
やけくそになり、問題文に修正線を入れて問題文を書換えて自分の勉強をした内容を裏表使い、書きなぐった。えぇ、書きなぐりましたよ!
成績発表のとき、私の学籍番号がない…(汗。
成績不可だった者は学籍番号を張り出されるのだ。私の番号がないわけはない!!
教授室に走った。
「ああ、そろそろくる頃だと思いましたよ。」とニコニコ笑顔でお茶を出して下さった。
「先生、私の学籍番号がありませんでしたが、何かの間違いではありませんか?! 私は迷走神経のことは何も分からずに…」と声が詰まる。
「間違いではありません。キミの書いた解答は完璧でした*1。そうそう、最近の学生はつまらなくてねぇ。マークシート共通一次の影響だと思いますが、平気で白紙の解答を出してくるのですよ。『何が何でもこの教科、単位を取るぞ!!』という意気込みがない。昔の学生は『おいしいカレーの作り方』とか『都会で楽しく暮らせる方法』とか『正しいペットの飼育法』なんて書いてきたのにねぇ。それはそれで困ったものですが、白紙はもっといただけない。キミの解答には執念を感じましたよ。実に面白かった、わはは。」
……もちろん、このあと教授室で雑用をやらせていただきましたよ、えぇ*2

息子はこんな先生方に会えるといいなぁ。

*1:一番高い得点だったのは「だるまとゲタの絵」だった(爆)

*2:山のようになっていた歯牙鑑定と掃除