望むなら(回想)

苦境の際に兄弟に出会った。顔も知らないネットでの出会い。しかも男性だと自己紹介されたにもかかわらず勝手に女性だと思い込む(苦笑)。

PC関連では今でも師匠と仰ぐ方。
そして、きっかけは私の病気であった。
兄弟は祈りを継続し、面白い話でも、ゲームでもPCでも私を支え続けた。

5年が過ぎようとしているが、兄弟の日々の祈りは継続している。
その兄弟の祈りが私を教会へと導いた。

また、兄弟が紹介している小さないのちを守る会の水谷牧師のBlogも私を大いに奮い立たせた。
(この中の水谷牧師のBlogと小さないのちを守る会の記述両方読み漁った)

昨日、私は「自分のようなものは赦されないのではないか?」という強迫観念を告白した。
紹介された聖句はこれらだった。(わざわざメールでお返事をいただいた。大変感謝です。)

わたしの目には、あなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している。
だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
イザヤ書43章4節)

それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことを知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
(ローマ人への手紙)

少しずつ学びを継続しようと思う。